牡丹寺と呼ばれる
開山約千二百年の古刹
永正元年(1504年)開創の真言宗のお寺。
大井伊賀守光忠が鍋蓋城を築いた際、鬼門除けとして建立され、「城に就く寺」という意味から「城就寺」と名付けられました。このころ、門前に地蔵院・華蔵院・明王院・円光院・円蔵院・太子堂の六坊があり、「六供六坊」と呼ばれたことが、現在の地名「六供」の由来になったとされています。元禄4年(1691年)に「城」の字を「成」と改め、現在の「成就寺」となりました。
山門には壮麓な木彫りが迎え、参道を歩んでいくと花に池には亀や鯉が。
池の橋手前には、太平洋戦争中の昭和19年(1944年)には、作曲家の小林亜星さんが疎開しており、「学童集団疎開の碑」が建立されています。
5月には「牡丹寺」と呼ばれるほど、牡丹の花が美しく咲き誇ります。